第四話 柔道親睦試合
五月二日、放課後。
超バンド同好会は、いつも俺、ジョニー、早紀、タクの四人だけである。例の野沢さんたちは、ほとんど来ない。というのは、結局スタジオが一つだけという形だから、俺たちが練習しているときは、残りは見学、という形になる。それを見越したジョニーは、「来たくなきゃ、来なくていい。自主性に任せる」と言ってしまった。一応、同好会の姿勢としては、前半の時間が俺たちがタクや野沢さんたちに教え、後半は俺たちが練習する時間、というようになっている。無論、タクや野沢さんたちがバンドとして出来るようになれば、交代交代で練習する事になっているのだが。
そうしたら、野沢さんたちは結局ほとんど顔を出さなくなってしまった。ジョニーは、頭数の幽霊部員でも構わないと、野沢さんたちが来ないことには特に腹を立てたりしていない。それどころか、自分の練習する時間がとれて、スタジオ代もかからないと喜んでいるくらいだ。
一方タクは、ギターに落ち着いている。タクはパンクが好きらしく、今は『High Lows』の曲で練習しているらしい。いつも、前半は早紀にギターを教えてもらい、後半は俺たちの練習を見学している。
練習も終わり、俺たちは放送室のスタジオから引き上げた。
「じゃぁな」
「バイバイ」
「またな」
「それじゃ」
俺たちは昇降口を出、口々に別れを告げた。と言っても、いつもの通り、俺と早紀は同じ方向だが。
「ふぁ〜、明日っからGWかぁ」
「ま、啓祐のことだから、ボゲェ〜っとしてそうね、三日間」
早紀は『ボゲェ〜』のところを強調して言ってくれた。
「あのな、人をナマケモノみたいに言うなよ。大体、俺だってやることはあるんだぞ」
「へぇ、何?」
「糞して寝る」
「下品」
「お前だってするだろう?生きるためには……」
「そ、そんなの、ボゲェ〜っとしてたって、出来るわよ」
早紀の口調が少し強くなった。
「お前な、糞は思いっ切り気張らねぇと出ないだろう。ボゲェ〜っとしてて出るようなら、それは肛門括約筋が緩んでて……」
「本当、下品!」
「馬鹿野郎、真面目な話だぞ。歳を取ると、その肛門括約筋が緩んで、『うわぁ〜、出ちゃったぁ』ってな案配に……」
そこで早紀に殴られた。
「私はあんたと同じ歳よ!なんで肛門が緩んで……」
そこまで言ってから、早紀は顔を赤くした。面白くないことに、周りには誰もいない。
「肛門が緩んで、ナニ?」
聞いた俺への答えは、無言の平手だった。
「早紀、痛い」
「うるさいわね!」
まだ顔は赤い。それを見せぬ為か、早紀は一人で早歩きで歩き始めた。
だがそれも束の間、
「あれ、早紀ちゃん。今帰り?」
美里が部室棟へ続く道から現れた。美里だけではない。一緒に、陽一とランと、そして巨人がいる。その巨体ゆえ、何度か見たことのある巨人だった。
美里は、早紀の後方の俺に気付くと、手を振った。俺もそれに応えるように手を振ってやる。
「おすっ、二人とも今帰りか」
と、陽一。帯で縛った柔道着を左肩に担いでいる。
「おう。ところで……そちらの……」
そこまで言うと、陽一は、
「ああ、柔道部で一緒のヤツで、『奥田翔』ってんだ。デケぇだろ」
「ホント、デッカいな……。あ、俺、『南啓祐』。よろしく。えと……翔」
言いながら手を差し出すと、
「君のことは陽一とランから聞いてるよ。よろしく」
巨人は俺の手を握った。翔は、身長もさることながら、横幅も大きい。きっと体重は三桁だろう。そして坊主頭。これほどインパクトのある高校生は、他に類を見ない。
「でも、本当に大きいわね。身長いくつ?体重は?」
早紀が聞くと、翔は真っ赤になって黙ってしまった。頭から湯気が出るのではないか、というほどだ。
「あー、駄目だ早紀。こいつ、女と喋れないんだ」
ランが素早くフォローに入る。
「え?」
「はは、今時珍しいよな、こんな男。女の子と話すのが恥ずかしいんだって」
ランが翔の胸を叩きながら言うと、
「あ、あんまりバラすなよ」
と、ランの手首を握った。
「……その割に、ランは平気なんだ」
俺が疑問をボソッと言うと、今度は陽一が、
「ランだから平気なんだよ。ランだから」
「……なるほど」
その理由に思わず納得してしまった。ランは、外見はかなり女らしいが、中身は大逆転で男勝りを通り越して、純然たる男である。
「んで、翔。身長と体重は?」
早紀の代わりに俺が聞いてやると、今度は
「一八九センチに、一四六キロ」
「でかっ!」
翔は普通に答えてくれたものの、その内容に驚いた。普通の高校生のデータではない。
「へぇ〜……柔道も、強いんだろ?」
「中学チャンプだって」
陽一は何気に言うが、その内容に言葉もなく驚いてしまった。しかし、この翔の外見を見ると、それも頷ける。
しかし、
「でも、陽一も強いよ。柔道部に入るまでは、柔道は体育の授業だけだったのに、もう普通に練習出来てるんだ。今日も、黒帯の先輩から『技あり』取ったよ」
「へっへっへ」
陽一が嬉しそうに笑みをこぼす。しかし、陽一ならそれも分かる。運動神経の固まりのようなものだし、加えてそれなりに格闘技好きだ。
「明日、この近辺の高校の親睦試合があるんだけど、陽一ならイイトコまで行くんじゃないかな。それと……」
翔はチラリとランに目を向けてから、
「うん、ランも実力あるよ。柔道経験ないって聞いてたけど、実際信じられないね」
「本当だって。柔道の経験は、今まで一切なかったぜ」
柔道の経験『は』、ということは、他の経験はあったというわけだ。例えば、喧嘩とか。
「何にしろ、明日の親睦試合が楽しみだよ。じゃぁね」
そう言って、翔とランは俺たちが行く逆方向に歩き出した。
「じゃーな……」
俺たち四人も、歩き出した。
「……本当に珍しいわね。女の子と話が出来ないなんて」
今まで黙っていた早紀が言った。
「早紀ももっと本性現せば、話出来るだろう。ランとは話せるみたいだし」
「……何よ、本性って」
「ねぇ陽ちゃん。親睦試合って、どこでやるの?」
毎度の事ながら、別な話題で俺と早紀のやりとりを止めるのは美里だ。
「ああ、ブッコーだよ。毎年どこかの高校でやっててよ、今年はブッコーなんだと」
「へぇ、ブッコーなんだ。……ねぇ啓ちゃん、見に行かない?」
「は?」
突然言われて、俺は少し惑ったが、陽一が最近満足気に柔道のことを話すのを思い出し、
「そうだな、部外者が見に行っていいんなら、いいぜ」
俺はどちらかというと打撃系の格闘技の方が好きなのだが、陽一の柔道は見ておきたい。
「陽ちゃん?」
美里が聞くと、陽一は少しの沈黙の後で
「まぁ、いいんじゃねぇかな、見学ぐらいは。それに、明日の試合は一年中心だから、先輩は主将以外来ねぇみたいだし、気軽に来られるだろう。あの、さっきのデカい翔の試合も見られるぜ。ランのも、な」
言われてみれば、確かに陽一だけではなく、中学チャンプという翔や男勝りなランの試合にも興味はある。
「早紀ちゃんは?」
美里の問いに早紀が答えるよりも早く、
「お前は来なくていいぜぇ」
思わず口が滑ってしまった。
「何でよ」
早紀が俺を睨む。が、それも束の間、
「私はいいわよ。あんまり柔道には興味がないし」
「結局来ねぇじゃん」
「あんたに来るなって言われる筋合いはないわよ。それより、啓祐こそ乱闘騒ぎを起こさないように……」
「それで陽ちゃん、時間は?」
またまた美里が、意図的にか無意識にか、俺と早紀のやりとりを止める形になった。美里からすれば、幼馴染みの俺と親友の早紀が、こうして啀み合うのは嫌なのだろう。俺は慣れてしまったのか、苦ではなく、むしろ自然に思えてしまう。
「時間は、八時半に集合だから、試合自体は九時半か十時頃だと思うぜ」
「何!?」
俺は陽一の答えに対し、それしか言わなかったのに、
「夜じゃねーよ、阿呆」
そう切り返されてしまった。
「まぁ、俺たちは美里が起きてから行くから」
「そうか。期待しねぇで待ってるよ」
俺と陽一の会話を聞いて、美里は抗議するように、
「美里は、ちゃんと起きるからね!」
美里が強い口調で言った。傍らで早紀が笑っている。
翌日。
美里はちゃんと、十時に起きた。しかも、俺が美里の部屋まで起こしに行って、だ。美里の家は、鍵は開いていたが美里の家族、つまり美里の両親は出払っていた。
俺は一度外に出て美里を待っていたのだが、
「啓ちゃん、啓ちゃん!」
美里は慌てて出てきた。
「何だよ、行くぞ」
「私の自転車、お母さんが乗って行っちゃった」
「あー、んじゃぁケツに乗れ。準備は終わったんだろう?」
俺の言葉に、美里は荷台のない俺の自転車を眺め、そしてわずかに飛び出ている後輪の軸に乗り、
「行こう」
「おっしゃ」
俺は自転車を漕ぎ出し、いつもの見慣れた通学路を走り出した。いつもは歩いて通る通学路だが、今日は自転車。ものの五分もかからず学校へ着ける。が、
「あ、啓ちゃん。止まって」
「あん?」
後輪を跨ぐようにして立ち乗りしている美里が、俺の肩を軽く叩いて言った。
「何だ?」
言われた通り自転車を止めると、美里は自転車から飛び降り、
「ご飯買ってくる」
コンビニの前だった。何か文句の一つでも言ってやろうと思ったが、俺も飲み物を買うべく、一緒にコンビニに入った。
さっさと買い物を済ませ、再び二人乗りで学校へと走り出した。
「あれ?」
高校の武道館へ着くと、ちょうどそこから柔道着を着た連中がぞろぞろと出てきた。
「おいおい、もう終わったのか?」
「嘘ぉ?いくら何でも早すぎるよ……」
予定より遅れた原因の美里が、慌てた声を上げた。そこへ、
「よぅ、二人とも。本当に来たんだ」
柔道着を着たランが道場から出てきた。ちなみに柔道着の下のはTシャツを着ている。
「あ、ランちゃん、お早う。試合は?」
美里は挨拶もそこそこに訊いた。
「これからだ。今、休憩時間なんだ」
答えを聞いた美里の表情には安堵の色が見える。
「そう言や、ランの他に女子はいるのか?」
「坪高と浅商に二人ずつだ。ブッコーは俺だけだけどな」
ちなみに坪高とは『坪内高校』、浅商は『浅野谷商業高校』だ。
「んで、一人一試合、他の高校のヤツとやることになっててな。女子五人だろ。俺があぶれて、男子と試合になったんだ。女子相手っつーのは不本意だからな、丁度いいよ」
ランは男みたいな台詞を吐いてくれる。
「ランよぉ、お前ホントは男なんじゃねぇのか?女子相手にしたくないって……」
からかい半分で言ってみると、ランは突然鋭い目付きになって、俺の胸倉を掴み、
「………………」
睨んだ。これほどの目付きのランを見たのは、初めてだった。踵が数ミリだが浮いている。しかし、その怖い表情に紛れて、悲しいような表情も見受けられる。
少し冗談が過ぎたと思い、謝ろうとしたときに、
「な〜んちって、ビビったぁ?」
と、ランは笑顔になり、手を離した。
「お……おう。物凄ェー怖かったぞ。……にしても、お前……」
女の力じゃない、そう言おうとしたが、
「力あるな」
と言い換えた。
「まぁな。美里くらいなら、多分片手で持ち上がるぜ」
とランが美里に目を向けると、美里は無言で首を振った。
「おーう、啓祐、美里ぉ」
不意に俺たちを呼ぶ声がする。確認するまでもなく、陽一だ。ランの後方、道場から翔と一緒に出てきた陽一が見える。
「おっす、予定通りだな」
「おう、予定通り、遅れて来たぞ」
俺と陽一の会話に、美里がむくれた。
「お早う」
陽一の後ろから、今度は翔が姿を現した。しかし翔はそれだけ言うと、ランに目を向け、
「ランが男子に混じったせいで、今度は俺が余って、先生とやることになったよ……」
翔は少しげんなりした様子。しかし、
「俺のせいじゃねぇよ。大体、翔なら先生くらいが丁度いいんじゃねぇのか?」
ランはあっけらかんと返した。確かに、翔の体格を見れば、勝てる者はいないように思えてくる。
「陽一の相手は、どんな奴?」
とりあえず陽一にも訊いてみた。
「俺?俺のは……どんなんだっけ?」
陽一自身もよく知らないらしい。しかし、訊かれた翔も、
「俺も知らないよ。でも、多分、初心者っつぅか、白帯だと思うよ。一応、その辺りのバランスは取ってるみたいだし」
「あんだよぉ、白帯かよ……」
つまらなそうに陽一が口を尖らせる。昨日聞いた限りでは、陽一は黒帯相手に技ありを取れるレベルらしいから、白帯相手では物足りないかも知れない。勿論陽一だって白帯だろうが、資質が違う。運動神経が違う。まさか相手が陽一同様か、あるいはそれ以上の者とは思えないので、十中八、九陽一の勝ちだろう。
道場の東側は、小高い丘になっている。俺と美里は、そこの麓から柔道を観戦することにした。隣の美里は、先程コンビニで購入したおにぎりを頬張っている。
「おっ、先ずは陽一だ」
第一試合目が、陽一の試合だった。
「陽ちゃん、頑張れー」
美里が聞こえるかどうか怪しい声援を送った。
道場では、陽一と陽一の対戦相手が互いに礼をして、試合が始まった。
「おっ……」
予想に反して、相手の白帯は意外と強い。陽一が技を仕掛けるが、相手は堪えたり、かわしたり。それどころか、陽一も相手の技に苦戦している様子で、時折姿勢が崩れて、危なっかしい。
「陽ちゃん、陽ちゃん、頑張ってぇ!」
隣では美里がいつの間にかおにぎりを頬張る口を止め、興奮した様子で応援している。しかし、美里の応援も空しく、
「あっ……」
陽一が投げられた。しかし、その結果は有効だったようだ。試合場の二人は乱れた柔道着を直し、再び中央で向かい合った。
「おいおい、危ねぇな」
「陽ちゃん、勝つよね……?」
美里は俺の方を向かずに訊いた。
「当たり前だ」
確信はない。でも、そんな気がして、そう言いきれる。陽一はまだ、何かを隠しているように思える。長年の付き合いが、そう感じさせる。
道場では、相変わらず陽一が苦戦を強いられている。二人激しい攻防が繰り広げられている。
だがある時。俺には、遠目ながら陽一の目が光ったように思えた。美里もそう感じたかも知れない。
そして陽一はまず大内刈りを仕掛けた。相手はそれを下がってかわす。しかし陽一はそれを引き寄せ、体を反転させて背負い投げに持っていった。それでも相手は堪える。陽一は技に失敗し、背を向けていた身体を戻す。
……かと思ったら、陽一の体は先程とは逆方向に回転し、再び背負い投げをかけた。相手は背負い投げを防いで安心してしまったのか、こっちの背負い投げは奇襲のような形となり、防ぎきれず、体が宙を舞った。
「わぁっ!」
同時に美里が歓喜の声を上げた。
道場に、陽一の対戦相手が背中から畳に落ちた音が響く。そして、
「一本!」
主審の声がし、拍手が湧いた。
「ほぇー……やるなぁ、陽一」
程なく陽一がこちらにやって来た。
「おう、お疲れサン!」
「陽ちゃん、凄ぉーい!」
しかし陽一は少し難しい顔をして、
「……頼むからお前ら、デカい声で応援しないでくれ。恥ずいから」
言われてみれば、柔道部員以外で観客は俺と美里のみ。それで個人的に応援されたら、恥ずかしくなるのも分かる。
「でもよ、それが有効だか技ありだか取られた理由にはならねぇぞ」
「……フン、分かってるよ。第一、あいつは強かったよ。なんでも中学の時に段を取らなかったヤツらしいんだよ」
それでも勝ってしまう辺りが、流石陽一である。
「ま、これからランと翔の試合があっけどよ、応援も程々にな」
そう言うと、陽一は道場に戻るべく背を向けた。
「へいよ」
「んじゃぁ陽ちゃん、『頑張って』って伝えておいて」
陽一は一度顔だけこちらに向け、
「アイアイサー」
と返し、再び道場へ戻った。
何試合かの後、ランの試合が始まった。聞いているとおり、ランの相手は男だ。こちらも白帯。
「始めッ!」
号令がかかり、ランは試合場の中央で相手の男と組み合った。互いに崩し合いをしている。だが、試合開始五秒も経たぬうちに、不意にランの動きが止まった。そうかと思うと、突然ランはフェイントも崩しもなしに、背負い投げの体勢に入った。先程陽一が防がれたように、ランの相手も腰を落として堪えた。しかし、
「ッらァ!」
ランの咆哮が聞こえたかと思うと、堪えていたはずのランの相手は、畳から両足が離れてしまい、宙に舞い、そして畳に思い切り叩き付けられた。陽一の放った背負い投げよりも迫力のある音が響く。
しかしそれだけではない。投げたときにバランスを崩したせいか、ランは相手の上に倒れてしまった。だが、俺は見逃さなかった。ランが倒れたときに、同時にランの肘が相手の脇腹に刺さったのである。
「……一本!」
号令がかかり、ランは起き上がり、中央の白線まで戻った。しかし、相手は起き上がれずに倒れたままだ。何人か人が集まったかと思うと、やがて担架で運ばれていった。
「………………」
陽一と同じ一本勝ちなのに、俺も美里も声がなかった。
恐らく……試合開始早々、ランはセクハラを受けたのだろう。ランとの付き合いが長いわけではないが、きっとそうだ。あのように組み合って、例えば胸元を触られても、事故で済ませる。しかし、それを許すランではない。現に、先生一人を殴っている。
きっと、『目には目を』ということで、ランも『事故』で返したのだろう。あの倒れ方なら、バランスを崩して倒れたときに、偶然肘が脇腹に入ってしまったと言い訳することもできるだろう。いや、それ以前にあの強引な背負い投げを喰らったときに、相手は気を失っていたのかも知れない。
なんて考えていると、陽一とランと翔が、揃ってこちらに来た。
「一時中断、だって」
翔が呆れた顔で言った。その視線は気持ちランに注がれている。
「……俺のせいじゃねぇよ、あの馬鹿が悪いぜ」
ランがへの字口をした。
「親睦試合で巻き込み技を使うの、いないぞ」
「ここにいる、ここに」
陽一も呆れ顔でランを指差した。
「ったく、お前らは男だからそんなこと言えンだよ。あいつは女の敵、だから許せなかったんだよ。な、女の敵は許せねぇよな、美里」
そう同意を求める、ということは、やはり俺の推測は正しかったようだ。美里もそれを聞いてことの成り行きを理解し、
「うん」
少し強い口調で答えた。
「しっかし、陽一もランも、得意技は背負いか?」
二人とも背負い投げで勝っているのを思い出した。先ずは陽一が、
「ああ、俺のは翔から教わったヤツで、『左背負い』ってんだ」
「……あれは難しい技なのに、やっちゃうあたりが陽一の凄いところだよ」
翔は感心したように言う。しかし、
「ちなみにランの背負いは、多分一番やりやすくて且つ被害の大きい巻き込み技が出来るから、アレを出したんだと思うよ……」
「それ以前に、俺背負いは結構得意だからな。あと、叩き付けやすかったり」
「物凄い音したもんねー」
美里はいつもの笑顔でそう言った。原因を理解したせいだろうか?
「いや、本当は金的狙った巴投げでもしてやろうと思ったんだけどな」
「そんなことしたら、反則負けになるぞ」
翔の言葉に、ランは、
「うん、だろうと思ったから、背負いにした」
一応、勝つことは考えていたようだ。
そんな話をしているうちに、号令がかかり、三人は道場に戻っていった。
正午を回った頃に、今日のメインイベントとも言える、翔の試合が始まった。
「柔よく剛を制す、だよ」
さっき翔はそんなことを言っていた。
明らかに、翔の対戦相手……他校の先生は、翔よりも小さい。だが、試合が始まってみれば、翔は押され気味だ。だが翔も負けてはいない。技を防いでは技をかけ、技をかけては技を堪える、そんな試合展開だった。しかし、陽一やランが見せたような、背負い投げを初めとする腰技はほとんど出てこない。むしろ、見掛け地味な足技の応酬だ。たまに、二人がもつれ合いながら場外へ転がるような場面も見られる。
結局試合は、判定に持ち越された。しかし、主審が判定を言う前に、その先生はそれを制し、結局引き分けに収まった。
「美里、今日初めて柔道をあんなに間近で見たぁ」
道場は、試合後は乱取りが行われたので、俺と美里は陽一たちよりも一足早く切り上げた。
「翔の試合が、一番迫力があったな」
「うん」
確かに地味でこれといった波もなく、一定の試合展開だった。だがそれだけに、迫力があった。明らかに、それまでの試合とは空気が違っていた。……ある意味、ランの試合も違う空気だったが。
「やっぱり中学チャンプって言っても、上には上がいるんだね」
相変わらず俺の自転車の、後輪の軸に乗っている美里が言った。美里の言う通り、あの先生の方が実力があった。翔は本気だっただろうが、あの先生はまだ少し余力を残して見えた。にもかかわらず、あのまま判定が出れば、軍配はあの先生に上がっただろう。
柔よく剛を制す。翔の言葉が頭を掠めた。
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